リレーコラム(1)

━━━時代劇に魅せられて 

        曲芸師 米ちゃん

 私が時代劇に出会ったのは、まだ21才の頃です。
 その頃、佐賀県嬉野にあるテーマパーク「肥前夢街道」の社員として扮装案内人の業務をしながら勤務をしていました。
 当時は東京から「劇団 若獅子」という新国劇の流れを組むプロの劇団が定期的に芝居小屋で本格的な時代劇を上演していました。
 その素晴らしい芝居を間近で見て舞台の魅力に取りつかれた私は、楽屋回りのお世話等をしながら色々な事を勉強したものです。
 そしてひょんな事から夢街道に独自の劇団を作り、若獅子の方々と一緒に舞台に立たないかとのお話を頂いたのです。
 それは私にとって願っても無い事でした。しかしながら「舞台を見る」のと「舞台に立つ」のでは大違いです。なかなか思うように動けない私達でしたが、若獅子の先輩方はきびしくも温かい指導をつけて頂きました。


(夢街道時代の米ちゃん)

 勿論通常の営業が17時までありますので、その間は練習出来ません。業務が終了した後に舞台を使用して練習を行うのです。
 舞台ではツケ(振り付け)と所作(しょさ)は違うと言われます。衣装、かつら、そして小道具一つにいたるまで、自然に使いこなすには相当の修練が必要でした。練習はしばし深夜にまで及びました。
 自分が休みの日でも舞台を手伝い、そしてまた深夜まで練習に明け暮れる。それは私の中である意味一番苦しく、しかし楽しい時代だった様に思います。
 その甲斐あり、私も少しずつではありますが支度(したく)もさまになり、殺陣をはじめとする舞台での様々な約束事も分かるようになってまいりました。
 またその縁で、東京での「若獅子」の舞台、つまりプロの舞台に立たせて頂いた事も今となっては大変貴重な経験です。

 やがて時代も移り変わり、劇団は解散。私は現在曲芸師を仕事としながら、お話あればTV・CMでの殺陣指導や総合的な和物の演出等の仕事で日々を過ごしております。
 劇団の先輩方に教えて頂いた多くの教えと舞台と向き合う気持ちを忘れずに、今後も機会あれば時代物の芝居を続けていきたいと考えております。

(新国劇)
1917年、芸術座(第1次。島村抱月主宰)を脱退した澤田正二郎らによって結成。歌舞伎よりもリアルな立ち回りを多用した時代物で男性客の人気を得た。その後、若手の島田正吾・辰巳柳太郎を主役に据える大抜擢が奏功、戦前から戦後にかけて全盛期を謳歌した。1987年、創立70周年記念公演を終えた後、解散。
(劇団若獅子)
新国劇解散の後、新国劇精神の継承のため代表 笠原章(かさはらあきら)が中心となって結成された劇団。
本格的時代劇と壮絶な殺陣を主とし、各地で好評を博している。

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