忍(SHINOBI)コラム(2)

━━━真実からの探究心



九忍会/秋月忍衆「黒鷹」 月光疾風(げっこうはやて)

 清流と大自然に囲まれ、今なお伝統と歴史と文化が生き続ける筑前の小京都「秋月」。そんな町に私は生まれ育ってきた。
 もっぱら遊びと言えば、その当時ファミコンなどのゲーム機が主流だったが、私は木登りや川遊び、昆虫採取や木の実採りなどが主な遊びだった記憶しかない。
 そんな私が忍者と出会ったのはマンガが始まりで、その後映画やゲームへと進んでいった。
 もともと歴史は好きであったし、特に戦国時代から江戸初期は私の得意分野であるが故に、それに関わる職にも一時期就いていた。そしてそんな折、私が以前勤めていた秋月郷土館にある島原陣図屏風の基となった古文書「嶋原一揆談話」を解読する事が決まり、その中に驚きのページを発見した事が、私の忍者活動の大きなターニングポイントになったのかもしれないと今でも思っている。
 そもそも忍者の存在が大きく扱われていたのは、本場の伊賀や甲賀などで、それ相応の文献や史実も残っていたため、現在でもその認知度は高い。九州の忍者説はさまざまあるが、ほとんどが文献の無い「口傳」つまり、言い伝えでしかなかった。
 そんな中、嶋原一揆談話との出会いにより九州の忍者説がまんざらでは無いと考え、もう一度、九州の忍者研究を始めようとけついした。
 嶋原一揆談話にはこう記してある。
 (現代文解説)
「秋月藩が原城へ出立された頃、柴岡九郎兵衛という者が間者(忍者)として任務にあたり、 敵の城(原城)に忍び込んでは、色々な事を探り様子を伺い、長興公(秋月藩初代藩主)が久留米藩の陣に到着された際に、城の内情を報告し、更には田代外記という家臣の書き記した行列の次第に九郎兵衛の名前が無いのは、二月二十七日に戦死しており、ただその事が今なお柴岡家の当主によって代々語り継がれている」とある。



(島原一揆談話)

  たったこの半ページにも及ばない中に、どれだけの忍者の物語が詰まっているだろうか。そう考えただけで、思わず武者ぶるいしてしまった。
 秋月藩に仕えた忍者の数奇な物語は、私の心に一つの思いを宿し、それが秋月藩お抱え忍者の伝承ではなく史実である事に、この機会を逃してはならないとそう思わせていた。
 その手始めに夏休み企画として「秋月忍者展」を企画開催。多くの子供たちに本物を見て欲しいと「伊賀流忍者博物館」様のご協力の基に体験型展示を行い、子供たちに喜んでもらえた企画展になった。
 さらには今年の地元のお祭りにおいても、肥前夢街道さんより忍び装束をお借りして、きゃりーぱみゅぱみゅの「にんじゃりばんばん」を子供たちと共に踊り、大盛況に終わった。
 子供たちもまんざらでは無かったようで、最後まで衣装を脱がない子も居たぐらいだし、更には、私が店主をしている「秋月歴思堂」というお店にも、子供たちが、手裏剣体験や忍者について色々勉強に来てくれている。本当にうれしい事だ。
 史実を基に発展していった今回の活動から、私は、ただ忍者を広めるだけではなく本当の忍者について子供たちに語り継いでいく事への使命感を覚えた。その為にも忍者であり続ける事の大切さを今一度自分自身が学ばなければならないと感じている。
 伝承という名の冒険は始まったばかり。私の忍者伝説もいつかは語り継がれるのだろうかと楽しみである。


(島原陣図屏風 戦闘図)